【プロフィール】
特定非営利活動法人アサザ基金代表理事
長野県出身 1956 年生 茨城県在住
中学生時代に水俣病などの公害事件を知り、自然と人間の共存について考え始める。1995 年から湖と森と人を結ぶ霞ヶ浦再生事業「アサザプロジェクト」を開始。霞ヶ浦流域で始まった小学校での環境学習は北海道から沖縄まで全国に広まり、年間15,000 人もの子どもたちが参加している。
独自のアイデアで様々なビジネスモデルを提案、湖岸植生帯の復元や外来魚駆除事業、流域の谷津田の保全事業などを地域住民、学校、企業や行政、農林水産業を結ぶネットワーク事業として展開している。
アサザプロジェクトは「市民型公共事業」と呼ばれ、これまでに20 万人を越える市民が参加。先進的取組として注目されている。
共著等:「よみがえれアサザ咲く水辺」(文一総合出版)/「自然再生事業」(築地書館)/「水をめぐる人と自然」(有斐閣選書)/「地球環境読本Ⅱ」(丸善)/「住民・コミュニティとの協働」(ぎょうせい)他多数
Q.アサザプロジェクトとは何ですか?
日本で2番目に大きい湖である茨城県の霞ヶ浦は、豊かな湖岸の植生帯をもち、漁業資源も豊富でしたが、近年急速に環境悪化が進んでいました。この霞ヶ浦の再生のために行政、企業、漁協、農協、生協、学校、市民…などを巻き込んで行っているのが、このアサザプロジェクトです。もともとは、湖の環境が悪化したために絶滅に瀕していた水草「アサザ」を救うために始まりました。私たちの夢は、「100年後、トキの舞う霞ヶ浦を」です。
霞ヶ浦の再生といっても、霞ヶ浦は湖面積が220平方キロメートル。流域は3県24市町村に及びますから、お金、組織力で行うのはとても無理です。
そこで私が注目したのは小学校でした。1995年から2000年までで、ほぼ全部の小学校で総合的な学習や理科の授業なので環境学習を行う中で、小学校同士のネットワークを作っていきました。具体的には「アサザの里親制度」ということで、アサザの種をとり、これを育て湖に植え戻してくれる方に種を配布します。そして、里親が育てたアサザは、湖に植え戻していくのです。
Q.小学校に注目したのはなぜですか?
私が小学校に注目したのは他にも理由があります。一つは、小学生は次の世代の担い手を育成するということもありますが、今は子どもたちが「社会のお客さん」になっていて、単なる「面倒を見てもらう存在」になっていると思っていたことも大きいですね。
もう一つは、小学校区というのは基本的に明治時代に設定されていますから、歴史が古く、ほぼ地域コミュニティと重なり合うということもあります。つまり小学校は地域の「核」なのです。
社会には子どもの感性や想像力と大人の知性が必要です。今の大人は、ただの大人になっていて、広い意味で子どもの部分が残っていません。世の中でいい仕事をしている人というのは、自分の中に子どもの要素を持っています。
私たちが行っている学校での環境教育では、例えば水源地の保全ということで谷津田(やつだ)の再生を行っています。谷津田は谷間にある湿地で、流域には千本近くあり、大型の流入河川がない霞ヶ浦では重要な水源地の一つであり、野生生物の重要な生息地です。
例えば、流域のある小学校ではこの荒れた谷津田を生徒たちが測量し、谷津田と里山の再生計画を練って、国への申請書も自分たちで書き、実施しました。まさに小学校(小学生)による公共事業です。事業後のモニタリングも後の学年の生徒たちが行っています。やりっ放しの大人の公共事業よりしっかりしているんじゃないですかね。(笑)
また、霞ヶ浦は湖岸が全てコンクリートで護岸され、水質が悪化しているのですが、自然が豊であった頃の状況を伝える資料はほとんどありません。それをお年寄りから当時の状況を聞き取り調査することで、どのような自然環境に戻せばいいかの指針を作っていったのです。
その聞き取り調査をしたのも子どもたちでした。これは高齢者と子どもの世代間交流にもなり、福祉やまちづくりにも繋がります。環境・福祉・まちづくり…とこれまで縦割りで自己完結していたものを、プロジェクトを進める中で縦割りの壁を溶かしていったのです。
私は問題解決型から価値創造型の事業が求められていると思います。繰り返しになりますが、縦割りで自己完結した形から、それぞれの枠組みを超え、横に広がっていく動くネットワークへの転換でもあります。それは、分析評価という「大人」の文脈ではなく、全体認識できる「子ども」の文脈(物語)で読み換えていくことでもあります。
私は、すでにある既存の社会資源を捉え直し(読み換え)、新たな機能を引き出すのがNPOだと考えています。
アサザプロジェクトは、「中心のないネットワーク」であり、「統合なき総合」です。
Q.その他にはどのような事業があるのですか?
アサザプロジェクトでは、2005年から霞ヶ浦の漁協や流域の農協、スーパーと共同で、湖の外来魚を捕獲し魚粉肥料にして農産物を栽培、販売しています。これは「湖が喜ぶ野菜たち」というブランド名で販売されています。
なぜ「湖が喜ぶ」のかと言うと、霞ヶ浦はブラックバスやハクレンなどの外来魚が増え過ぎており、生態系が崩れているのです。また、魚体が成長するときに体内にチッ素やリンを蓄積していくので、この魚体を湖から取り出すことで、効率的に湖の富栄養化の要因となっているチッ素やリンを取り出すことができます。
具体的には、アサザプロジェクトによって将来、チッソ310トン、リン87トン(年間)を取り出し、浄化することが可能と予測されています。一方、従来の公共事業(霞ヶ浦底泥しゅんせつ事業・年間95億円)の効果は、チッソ43.8トンリン4.5 トンに止まっています。
アサザプロジェクトは一円も税金を使うことなく、多くの付加価値を生み出しながら、国の事業以上の成果を挙げているのです。
また、霞ヶ浦はもともとウナギの大産地でした。しかし、霞ヶ浦だけでなく世界的に見ても、ウナギは絶滅の危機にあります。
ウナギはグアム沖などの南海で生まれ、利根川から霞ヶ浦、そして里山や谷津田にやってきて、最後は海に戻って産卵して一生を終えるのですが、現在、利根川と霞ヶ浦の間の水門が閉じられており、ウナギの遡上が不可能になっています。
そこで私たちは、霞ヶ浦と海をへだてる水門の柔軟運用(少しだけ開ける)を提案しています。UFJ総研(現三菱総研)の試算によると、水産業のみでも308億円の経済効果があります。
Q.今のNPOや市民活動、社会運動の課題はどこにあると思われますか?
学者もNPOの人も制度論が好きですよね。結局、社会問題を解決する=新たな枠組みを作るというゾーニングの発想なんです。制度や枠組みに依存し過ぎている感じがしますね。
今、社会起業家と言われている人たちも、非常に狭い隙間(ニッチ)の部分の問題だけを取り上げて解決に取り組んでいる人が多いです。敢えて言いますが、それが「社会」と言えるのでしょうか?
部分最適だけを目指すのではなく、より広い社会全体を変えていく全体最適という視点と「動き」を生み出そうというダイナミズムが必要ではないかと思います。そこには発想の転換と説得力、そしてそれらに基づく合意形成がが求められます。
Q.発想の転換をしていけるようになるためには、何が必要だと思いますか?
私の強みはたぶん、授業でほぼ毎日子どもたちと接しているということです。このことが私の創造的な部分を支えています。これが大学で教えていたり、研究者であったりしたら、アサザプロジェクトのようなことは決してできなかったと思います。
小学校で授業をすれば、子どもたちはとにかく脱線するし、飛躍します。でも、それを軌道修正しようとしないで、寄り添っていきます。大切なのは、答えの積み重ねではなく問いの連鎖なのです。「答え」に行き着かなくても、「問い」で終わってもいいのではないかと思います。子どもたちが私の予想を外し、全く違う方向へ飛躍しているのを見るのは快感ですらあります。
学校では、先生のコンテキスト(文脈・意図)を読める人が優等生です。でも、大切なのは自分のコンテキストを作ることです。私は授業でよく子どもたちに言うのですが、「私は答えや正解を持ってきていない。答えがあるとしたら、あなたたちが自分の中に発見するしかないんだよ」
今は、ものごとの多様性や多義性が見失われています。何かのイメージがあれば、それはすぐに言葉によって概念化され、固定化していきます。何でもすぐに「明確にしてください」と言われるのですが、それに対して私はメタファー(暗喩)で表すようにしています。私の書く企画書や行っている事業には、必ず河童や龍が出てきますが、その捉え方は全く人それぞれじゃないですか。水木しげるさんはそれを妖怪で表現していますよね。
詩なんかもそうですが、言葉だけでは表現できないものを表すのに、それらは絶対に必要だし、いてもらわないと困るわけです。
メタファーや物語(例えば「100年後に霞ヶ浦のトキが舞う」といった夢)は、多様性を含んだ「統合なき総合」に必要です。
Q.飯島さんはどんな子どもだったんですか?
子どもの頃は、千葉県市川市に住んでいて、里山がたくさん残っていました。そこで遊んだ思い出が今の自分のある意味で原点ですね。
その他にも、トキの絶滅や公害問題、そして日米安保闘争など、いろんな事象に影響を受けましたし、様々な問題意識を持つようになりました。
ただ私の中に強くあるのは、自然と人間が明らかに共生できていたという実感です。人間と自然は、決して二項対立的な存在ではないのです。そのためにも、壁を溶かし膜に変えていくことが必要なのです。




