瀬谷 ルミ子さん(日本紛争予防センター事務局長)

【プロフィール】

中央大学総合政策学部→英ブラッドフォード大学紛争解決学修士号取得。国連PKO、外務省、NGOなどで勤務。第二回秋野豊賞受賞。
ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール等で勤務。専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善(SSR)、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)など。アフリカのPKOセンターで軍人、警察、文民の訓練カリキュラム立案や講師も務める。(瀬谷ルミ子さんのブログ「紛争地のアンテナ」より)

ケニアの国内避難民の子どもたちと Copyright©2010 JCCP

Q.このようなお仕事をされようと思ったきっかけは何ですか?

高校3年生の4月にアフリカのルワンダにおける虐殺*1 の報道を見みました。そこには死にかけている親子の姿が写っていたんです。その時に、なぜこのようなことが起きるのかとものすごい衝撃を受けました。カメラ一つ隔てているだけで、私が群馬県の片田舎でのほほんと暮らしている一方で、何億もの人に見られているのも知らずに死んでいこうとしている親子がいる。この世の中の仕組みはどうなっているんだろうと思いました。そして、このような悲劇を引き起こす紛争に関わる仕事に就こうと思ったんです。
日本では紛争解決を専門的に教えている大学や学部はなかったので、まずは広く浅く学ぼうと思って総合政策学部に入りました。在学中からルワンダの現地NGOを支援している日本の団体にインターンとして関わっていました。ニュースレターを作成したり、イベント企画を行ったり、4年生の時は週3回通って実質的に事務局を担っていましたね。ルワンダにも実際に行ってみました。

大学院は紛争解決や平和学を専門で扱っているイギリスの大学に行きました。
私はこの仕事をするにあたって、専門性を突き詰めないといけないと考えました。他のみんながやっている分野ならあえて自分がやらなくてもいいし、現場のニーズはあるのに、専門的にやっている人があまりいないところは何かというのを探したんです。そんな中、兵士と武器の問題、子ども兵の問題をウェブサイトで見る機会があって、「これを自分の専門にしよう」と決めました。

*1 1994年に起きたジェノサイド。多数派のフツ族によって少数派のツチ族が虐殺された。その犠牲者は50万人とも100万人とも言われる。

スーダンの現地警察と Copyright©2010 JCCP

Q.日本では世界の紛争の問題や平和に関して総じて関心が薄いですが、それはなぜだと思われますか?

日本にも第二次世界大戦を経験された方はおられますが、それは国と国との戦争であって、言わば「近所の人同士」が殺し合うような内戦を経験した人はほとんどいません。広島や長崎の平和運動においても、「祈る平和から行動する平和へ」と言われていますが、これまで平和というのは「祈る」ものであって、戦争は自分たちがどうこうできる問題ではないという認識が一般的でした。
他の先進国を見ると、キャンペーンやデモなどの具体的なアクションをすることはよくありますし、それらのアクションはカジュアルなイメージです。そして寄付を含めた市民活動自体が活発です。民間の中に、政権のブレーン的なシンクタンクがあって、その国の外交方針に対して影響を与えてもいます。
それに対して、日本には紛争問題を扱っているNGOも少ないですし、関わるきっかけ自体が少ないということはありますね。

また、日本の外、もしくは世界の果ての紛争を身近な問題として関連付けて捉えていくことが難しいのだとは思います。
世界の紛争に日本がどう関わっていくかという問題は、そもそも日本として世界でどのような位置づけで、どのような役割を果たして行くかということとつながります。「何もしない」という選択もあると思いますが、その場合は、そうすることによって想定される結果を認識しておく必要があります。
現状では、結局「資金を提供する」か「自衛隊を派遣する」という二択のみが日本の取れる選択肢になってしまいます。一方、例えばその時にもし治安やガバナンスなどの専門家がいれば、少人数でも国や政府のたて直しなどの専門分野に特化した形で現地に派遣するという選択肢も出てきます。

大切なのは、やる・やらないの判断も含めて、日本はこの分野で貢献していくという方針を国内である程度共有することです。それは、日本は世界の中でどのような役割を担っていくのかというビジョンを共有し、コンセンサスを得て行くプロセスでもあります。
例えば北欧諸国の場合、ノルウェーが紛争地域に特使を送って仲介したり、現地NGOの能力強化に広く支援したりと、金額的には小規模であっても一定のポリシーを持って活動しているため、現地に与える印象の一貫性、継続性とプレゼンス(存在感)が高いです。

とはいえ、日本人だからこそできることもあります。私はよく「日本はどうして第二次大戦後、あれだけ急速に復興できたのか教えて欲しい」と現地の人から聞かれます。また日本人は中立的な存在として見なしてもらえるということもあります。アフガニスタンでDDR*2 に携わったときに、「(アメリカではなく)日本が武装解除を担当しているから、武器を差し出している」と言われました。

*2   Disarmament(武装解除), Demobilization(動員解除), Reintegration(社会復帰)の略称。紛争後の国家において治安の回復のため、紛争当事者の兵士に対して行われるプログラム。アフガニスタンでは2003年から行われたDDRを日本政府が主導した。

ソマリア現地NGOへの研修

Q.日本で大学生や若者が紛争解決や平和のためにできることがありますか?あるとしたら、どのようなことだと思われますか?

まずは、世界にある問題を、そしてそれと自分がどのように繋がっているかを知ってもらいたいです。今の世界の紛争の多くは資源の利権問題と関わっています。そういった意味では、日本の世界でのあり方や私たちの生活と密接に関わっています。
そのうえで、情報としてフォローするか、出来る範囲で支援や参加をするか、仕事として取り組むのかは、個人の選択になると思います。最近では、紛争解決や平和学に関心を持つ人も増えてきています。仕事とする場合、自分自身の専門分野を一つ持つように経験を積んでいくということが大切だと思います。緊急支援、治安分野、教育などの分野ごとでもよいし、例えば民間企業での経験などを生かした広報やITなどもニーズはあるけど、実務家が意外と不足している分野です。
漠然とでも興味があれば、そこから一歩踏み出していくためには、ボランティアやインターンからかかわり始めて、できることを増やしていくのもいいでしょう。事務作業の能力や英語などの身近なものでも、一つ一つ積み重ねていくことです。

南部スーダン軍准将との交渉後

Q.最後に、瀬谷さんの今後のビジョンと活動する上でのポリシーを教えてください。

日本紛争予防センターでは、現地の治安強化と経済的自立の二本柱で事業を進めていますが、日本国内でももっとこの問題について多くの人に知ってもらえるようにしたいですし、経済的な面で日本の企業と協働していきたいです。
日本には専門家も紛争問題に取り組む団体もまだまだ少ないですから、国内における人材育成をすすめるとともに、外交政策にもっと提言できる仕組みを作る必要もあります。
私のポリシーですが、どんな厳しい環境にあったとしても、対策を検討する前からやらない言い訳はしないようにしています。「できないこと」と「やらないこと」は違うわけで、できないなら、どうやったらできるのかを考えます。そして、わずかでもできることは必ずあると信じています。





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